「やってられねー」と言われました。
先日、オンライン授業中に生徒から言われました。
「やってられねー」
……はい。
やってられねーのは、こっちです(笑)
今日は、なぜ私がそこまで腹を立てたのか。
そして、家塾みずの坂が「できた!」だけでは終わらせない理由を書こうと思います。
問題がわからないなら、わかるまで教えます
これは当たり前です。
わからない問題を前にして困っている子に、
「自分で考えなさい」
と放り出すつもりはありません。
必要なら何度でも説明します。
一緒に考えます。
ヒントも出します。
でも、ある程度理解できるようになったら、そこから先は変わります。
間違えた問題は、自分で直してもらいます。
そして、ここからが一番大事です。
「どこを間違えたの?」
「なぜ間違えたの?」
「じゃあ、どう考えればよかったの?」
これを、自分の言葉で説明してもらいます。
ここを家塾みずの坂では、とても大切にしています。
答えが出せることと、理解していることは違う
問題は解けた。
答えも合った。
でも、
「どうしてそうなるの?」
と聞くと説明できない。
これは私の中では、まだ「理解した」には入りません。
たまたま解き方を覚えていたのかもしれない。
先生がやった方法を、そのまま真似しただけかもしれない。
だから私は聞きます。
「なんで?」
「どこを間違えた?」
「今度はどうすればいい?」
うまく言葉にできなくてもいいんです。
むしろ、そこで言葉に詰まることに意味があります。
「あれ? わかったつもりだったけど、説明できない」
そこからが本当の勉強です。
たくさん問題を解けば、できるようにはなりますが、、、
同じような問題を10問、20問、30問。
繰り返していけば、ある程度は解けるようになります。
でも、それだけだと忘れます。
時間が経ったら、
「あれ? どうやるんだっけ?」
となる。
だから、
「できる」から「わかる」へ。
さらに、
「わかる」から「説明できる」へ。
そこまで持っていきたい。
だから「何を間違えたか」を説明してもらいます
間違えること自体は、全然悪いことではありません。
むしろ間違えたときこそチャンスです。
自分は何を勘違いしたのか。
どこで考え方がズレたのか。
なぜこの答えではダメなのか。
それを自分で見つけて、自分の言葉で説明する。
これができるようになると、
「先生がいないと勉強できない子」
から、
「自分で間違いを見つけて、自分で修正できる子」
に変わっていきます。
私は、そこまで育てたいと思っています。
ところがオンライン授業で……
いつものように、
「じゃあ、何を間違えたのか説明して」
とやっていたら、
返ってきた言葉が、
「やってられねー」
でした。
そりゃあ、私もブチキレます(笑)
やってられねーのは、こっちです。
こちらは意地悪で聞いているわけではありません。
答えだけ合わせて、
「はい、できましたー!」
で終わらせるほうが、よほど簡単です。
でも、それではその子の力にならないと思っているから、面倒くさいところまで付き合っています。
こういう生徒は、うちには向いていません
答えだけ教えてほしい。
丸がつけばそれでいい。
間違い直しは面倒くさい。
自分の考えを説明するなんてやりたくない。
先生に言われたことに対して、
「やってられねー」で終わらせたい。
そんな子には、たぶん家塾みずの坂は面倒くさい塾です。
ですから、
こういう生徒は来てほしくありません。
……と、言いたいところですが。
来てくれたら、変えます。
最初から、
「間違いを分析できます」
「自分の考えを説明できます」
「自分で勉強できます」
そんな子ばかりなら、そもそも塾なんて必要ないんです。
できないから来る。
面倒くさいから逃げる。
説明できないから黙る。
わからないとイライラする。
それでいい。
そこから変えるのが、私の仕事です。
「やってられねー」
と言っていた子が、いつか自分から、
「ここでこう考えたから間違えた」
と言えるようになる。
先生に直してもらうのではなく、
「あ、ここ違う」
と自分で気づけるようになる。
そこまでいったら、勉強はずいぶん変わります。
家塾みずの坂は、
たくさん問題を解かせるだけの塾ではありません。
答えを出して終わる塾でもありません。
自分が何を考え、どこで間違え、どう直せばいいのか。
それを自分の言葉で説明できるところまで、しつこく付き合います。
だから、ちょっとうるさいです。
かなり面倒くさいです。
時々、先生もブチキレます(笑)
でも、
「わかったつもり」で終わらせない。
それが、家塾みずの坂です。

